サイコパスとデミ・サイコパス

前のページで人の性格をオレンジの断面に例える話を紹介しましたが、区切られた果肉の一つ一つの大きさが人によってバラバラなのであれば、サイコパスの他にも危険な人格を持つ人々が存在するかも知れないということが想像出来ます。

それは、善良な(少なくとも常識で普通の範囲だと思える)人とサイコパスの中間の存在。

つまり、良心が限りなく小さかったり、良心を圧迫する他の要素(例えば攻撃性や支配欲など)がとても大きくて、良心がほとんど顔を出さないような人々です。

当サイトではこのようなタイプの人達を独自に、デミ・サイコパス(半サイコパスの意味)という名前で定義しようと思います。

デミ・サイコパスは善良な(少なくとも常識で普通の範囲だと思える)人とサイコパスの中間の存在

デミ・サイコパスの人物像

デミ・サイコパスはサイコパスと違って、良心や愛情を全く持たない訳ではありません。

ただし、その対象になる相手が極端に偏っていたり、その時の精神状態によって全く発揮されなかったりする厄介な性格を持っています。

例えば、自分の家族以外は平気で殺す犯罪者や、気に入った部下以外は冷遇してパワハラを繰り返す上司、自分自身の事以外は全く目に入っていない極端なナルシストなどがデミ・サイコパスです。

サイコパスとデミ・サイコパスの区分

サイコパスとデミ・サイコパスは、その誕生する仕組みや治療できる可能性の有無などの違いがある以上、別物として扱うのがふさわしいかも知れません。

例えば、幼児期の虐待などが原因で生まれたデミ・サイコパスは被害者でもありますから、純粋なサイコパスと同一視することは差別にあたるという意見もあるでしょう。

もしも我々が精神科医や裁判官、カウンセラーというような「他人の人生に責任を持つ」立場にあったなら、相手の人格がどのように成り立っているかを見極めるのは大切ですし、安易な判断をすべきではありません。

しかし、このサイトの目的は「危険な存在」を察知して被害に遭わないようにすることで、誰かを診断したり裁きを下すことではありません。

身を守る上で大切なのは、ただ単純に相手が危険かどうかを判断できればいい。

サイコパスか、あるいはデミ・サイコパスかということに気を回すよりも、そんな細かい分析は専門家に任せて、さっさと安全圏に逃げることを優先しましょう。

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