人を物とみなす心理
サイコパスが他人を一種の「物」としてしか見ないという感覚は、普通の人からするとなかなか想像するのが難しいと思います。
他のページでも書いたように相手がゲームのキャラクターのような架空の存在ならば、良心を持っている人もためらわずに銃で撃ち殺したりすることが出来るかもしれません。
しかし、仮に相手が生身の人間だったとしたら、たとえ何らかの大義名分があっても、良心を黙らせることはそう簡単ではないでしょう。
そこで今回は歴史上の事実などから、人が人を「物」として扱う時の心理について考察してみたいと思います。
人間以下に扱われる人々
現代社会、特に先進国では人間を差別することは明確に「悪いこと」と見なされ、マスコミなどでも差別的な扱いや差別と捉えられかねない表現を厳しく規制しているのが普通です。
しかし、歴史を少しだけ振り返ってみただけでも、人が人を家畜や物と同等に扱っていた事例はたくさん存在しています。
特に有名なところではナチスドイツによるユダヤ人迫害政策などがその代表例で、1930年代には多くのユダヤ人が市民権や職を剥奪されたり殺されたりしました。
また、アメリカなどの国で黒人が奴隷として働かされ、参政権も与えられずに白人の理不尽な命令に従わなければならなかったのは、つい40~50年くらい前の話です。
ナチスドイツのユダヤ人迫害に関しては、独裁者であるヒトラーがそもそもサイコパスであると考えられているため「サイコパスが犯した大罪の一つ」と捉えることもできるかも知れません。
しかし後者である黒人の奴隷制度は、ごく普通の人達によって長く運用されてきたものです。
大罪を犯した犯罪者は「非人間」?
さらに時代や政策、文化的背景という前提が無かったとしても、善意を持つ普通の人々が人を「物」のように扱うことがあるのもまた真実です。
例えば米国の市場調査会社が電話で行った調査によると、9.11テロの首謀者であるウサマ・ビン・ラディンの死刑の様子を「金を払ってでも見たい」と回答した人が21%もいたそうです。
死刑制度の善悪は別として、善意や愛情を持っている普通の人々でさえ、事と次第によってはサイコパスと同様に、人を「物」と見なせるということなのかも知れません。
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